Texture 94 2026年3月5日

皆様常日頃誠にお疲れ様です。本文記入日2026年3月5日のここから未来昼食の主菜が唐揚げですので、2025年下旬の未使用の唐揚げ(完成直後・配膳直前)の画像を選択いたしました。前回の続きですが、フランソワ・ヴィヨンと佐々成政では、おそらくヴィヨンの方が世界的(西洋では有名な詩人ですから)に有名かと思いますが、生前の罪状は、乱闘で聖職者1名を殺害後に逃亡して窃盗団の一種に参加して数件の窃盗罪を犯したヴィヨンよりも、実家を裏切り、戦場で数多の敵を殺傷し、新たな主君秀吉を1回裏切り、冤罪で側室及びその一族を処刑した佐々成政の方が、遥かに重いでしょう。
3月4日NHK総合の歴史探偵とウィキペディアの内容の記憶を統括して詳細を述べますと、佐々成政は、当初は織田信長に敵対していた実家を裏切って信長の家臣になり(佐々本家は、その当時、織田家次期当主の織田信長の対立候補であった信長の実弟織田信勝(江戸時代の織田系図では、織田信行。父信秀の生前の所領(現愛知県の主要地域)を信長と東西で分割統治していたようです。信長が西、信勝が東を治めていましたが、両者の対決の果てに信長が信勝を破り、尾張(現愛知県のほぼ大半)を制しました)に仕えていました)、華々しくも業深い戦績を挙げて、越中(現富山県)を所領として獲得、信長死後に勢力を伸ばしてきた豊臣秀吉に敵対するも盟主の柴田秀勝(織田家臣筆頭)が敗れた後に降伏して秀吉の家臣になるも、徳川家康が日本支配をめぐる対決で有利になると、秀吉を裏切って家康に付き、家康と秀吉が一応和睦した後に所領の大半を没収されて大阪で側仕えをさせられてからは、九州で血生臭い戦績を挙げて熊本を獲得、熊本住民を弾圧しました。前回述べた通り、この弾圧で反乱が起こり、鎮圧できなかったものの、住民の犠牲は更に拡大したことでしょう。日本ならばいざ知らず、世界のサイト件数で見た場合、佐々成政の知名度は、フランソワ・ヴィヨン程ではない模様ですが(Google AIに質問してみたところ、佐々成政の関連サイトは、具体的件数は不明ながらそれなりに戦国時代関連で多いものの、フランソワ・ヴィヨンの関連サイトは、国内外で数百~数千以上のページが存在するとのことでした)、悪名ならば、佐々成政の方が明らかに高いでしょう。
前々回、佐々成政がもう少し注目・再評価されても良いのでないかと述べましたが、そのこと(織田・豊臣家臣としての戦績・越中領主時代の善政)と社会的・倫理的罪状(2回の裏切り・多数の殺生)は、別問題です。罪状は批判しつつも、功績は再評価するということです。加賀(石川県)の名君前田利家も武将である以上、佐々成政以上の罪業を重ねてきました。佐々成政や前田利家が、自分の領地の産業・インフラ・文化・経済を発展させて、住民の教育・収入・福祉・生活・健康を充実させたからといって、何の罪も犯していないとはいえません。フランソワ・ヴィヨンも、殺人・逃亡・窃盗(というよりは強盗)を犯しましたが、彼の作り残した詩作は、後世の詩文化産業に貢献しています。唐揚げの製造・販売にも動植物の犠牲が付き物です(衣や味付けには、農作物を犠牲にしますから)。人物・組織の功績も罪状も中立平等に再注目してこその歴史分野(学問・文化産業)であるといえるでしょう。
大学時代(特に編入学後)から食の嗜好が野菜・魚系に変わったとはいえ、ついでにいえば、ここから未来通所開始までほとんど食べていなかったとはいえ、小学校時代から現在まで唐揚げは愛好しております。小学校時代に父と平塚駅前の古い映画館(シネプレックス開業と共に閉鎖しました)で映画を見た後で、ケンタッキー・フライドチキンに入って、昼食にフライドチキン、コールスローサラダ、ビスケット(+ハニーメイプル)を食べたこともありました。前々回でも軽く触れましたが、2004年3月推定第2土曜日に、父と東京都現代美術館の球体関節人形展の帰りに、付近のバーミヤンで北京ダック風の(本場から見たら、外観や味も厳密には、北京ダックとはいえないと思われますので、風と書きました)鶏肉料理を食べました。何しろ22年前のことですから、うろ覚えです。ただ、こういう断片的な事象・印象は、不思議とつい数年前のことよりも明確に覚えています(コロナ禍と退職で、帯広生活の事象が曖昧化しているのかもしれません)。今回は以上になります。お読みいただき誠に有難うございます。北海道における積雪の影響は、まだまだ継続しますが、つつがなき日々でありますように。
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