Texture 25 画像は関係ありません

 皆様常日頃誠にお疲れ様です。タイトル通り今回の話題と上の画像は関係ありません。妥当なものが本文記入時点では他になかったので、当たり障りのなさそうなこの画像を選びました。もっとも、記号というものは、恣意的(気まぐれ)に事物を指すように結び付けられているだけなのです。英国の作家ウィリアム・シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」でジュリエットが言ったように、名前が薔薇でもローズ(Rose)でもその花は香しく美しいものなのですから。編入学先の大学では、こういう英米文学や言語学を学んでいました。

 今週、ヴェトナム料理の話をしていたら、高校1、2年時(2001年末か2002年春)に母がビデオで見ていた青いパパイヤとか言うベトナム映画を断片的に見ていたことを唐突に思い出しました。ヴェトナムのとある少女の青春を映した物語で、ヴェトナムの自然風景、伝統的衣装、伝統的建築物が印象的でした。本文記入日11月13日に(21年前に東京薬科大学の指定校推薦の面接を受け、合格した日でもあります。合格通知は翌週届きましたが、面接直後に手応えを感じて安心して帰りましたが、その日他に何があったかほとんど覚えていません)気になって調べてみたところ、ヴェトナム映画というよりはヴェトナム人監督トラン・アン・ユン氏が制作したフランス映画で、タイトルは「青いパパイヤの香り(1993)」でした。そのあらすじは、予想していた以上に濃密で興味深いものであり、以下の通りです。

 1951年、ヴェトナムの大都市ホーチミン(当時は首都。名称はサイゴン)にとある資産家がいました。そこに10歳の少女(上記のとある少女)ムイが奉公人として雇われ、高齢の先輩女中の指導の下に一家の雑事を懸命にこなしていきました。この資産家の家族は、優しい女主人、実質無職なその旦那、その夫婦の3人の息子達、孫娘を失って以来2階にこもり続けている老婦人(おそらくは女主人の母)でした。3人の息子達は、それぞれ社会人の長男チェン、中学生の次男ラム、小学生の三男ティンです(因みに、亡くなった娘はトー、先輩女中はティー)。

ある晩、長男チェンの友人で新進気鋭の作曲家クェンが一家を訪れ、ムイはひそかに彼に憧れます。その後、娘の生前から琵琶の演奏以外何もせず、娘の死後は外出することのなかった旦那が唐突に家の有り金(女主人が営んでいた布地屋の売上金)を全て持って逃亡し、ある晩に帰宅した途端に自殺します(ティーが発見)。

10年後、チェンの妻が来たのでムイは退職、女主人が餞別に己が娘トーのために用意していた宝石とドレスを渡します。ムイは長年の憧れの人クェンの家に再就職し、クェンも現代的な恋人よりもムイに心惹かれます。そうしてムイは、青いパパイヤの香りと共に美しく成長し、クェンの子を身籠り、クェンと結ばれて幸せに暮らします。青いパパイヤは、ムイやティーが奉公人として料理する果実であると共に、若いムイの成長の象徴でもあるのです。

 トラン・アン・ユン氏は、淡々と魅力的にムイの青春を描いています。彼は、ヴェトナムの主要な港湾都市ダナンで生まれ、1955年~1975年のヴェトナム戦争から逃れるために12歳の時に両親と共にフランスに亡命しました。かつての穏やかな祖国を夢見てこの作品を作ったのかもしれません(旦那の逃亡は自らの逃亡体験も多少影響しているのでしょうか)。彼はこの作品で長編映画監督デビューを果たし、新人賞を2つ受賞、アカデミー外国語映画賞にもノミネートされました。95年には「シクロ(ヴェトナムの自転車タクシー)」でヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞しました。本作は、シクロの運転手の青年がヤクザにシクロを盗まれてヤクザと知り合い、ヤクザの共犯になっていくという、いわばフィルムノワール(フランス語で、黒の映画、犯罪映画という意味の映画ジャンル)です(画像の机もちょうど白黒になっております)。他にも「夏至」や「ノルウェイの森(原作村上春樹)」等も制作しています。

 今回は以上です。お読みいただき誠に有難うございます。皆様に限ってそのようなことはないとは思いますが、くれぐれも無職の旦那やシクロ運転手の青年と同じことには決してならないようにいたしましょう。最後になりますが、これからもつつがなき日々でありますように。

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