Texture 48 About Baumkuchen 3

皆様常日頃誠にお疲れ様です。前回予告いたしました通り、今回もバウムクーヘンの話題になります。何らかの巻物の画像を検討した結果、12月16日火曜日ここから未来の昼食の春巻きを撮影・掲載することにいたしました。バウムクーヘンは、ドイツよりも日本の方で普及しており、駐日ドイツ大使館では、赴任して初めて食べる職員も多いとのことです。
バウムクーヘンの原型は、古代ギリシャ(紀元前)の「オベリアス(木の棒にパン生地を巻き付けて焼いたもの)」とされ、 そのオベリアスの発展形であろう、ポーランド・リトアニアの中世以来の伝統的なケーキ(ポーランド語で「センカチュ(「木の枝の節々だらけのケーキ」を意味します)」、リトアニア語で「シャコティス」といいます)か、フランス領バスクのピレネー山脈の山奥で作られている伝統菓子「ガトー・ア・ラ・ブロッシュ(フランス語で「串に刺したお菓子」を意味します)」が基になっているとされています。どの菓子が起源かをめぐってドイツのザクセン=アンハルト州で争いがありましたが、いずれの当時店も1920年に同一人物に買収され、一応の和解に至っています。
バウムクーヘンが日本に広まった原因は、第1次世界大戦にあります。同大戦の捕虜としてドイツ人菓子職人カール・ユーハイム氏(前回紹介した製菓会社ユーハイムの前身である喫茶店「JUCHHEIM’S」の創立者)が日本に連行されました。その後、1919年3月4日に広島県産業奨励館(かつての原爆ドーム)でドイツ作品展示即売会が開催された際にユーハイム氏がバウムクーヘンを製造・販売、同会でバウムクーヘンを日本に紹介しました。後にこれを記念して、製菓会社ユーハイムは、2010年に3月4日を「バウムクーヘンの日」に制定しました。その後、同氏は、日本に留まって銀座の喫茶店に勤めた後に独立して横浜で喫茶店を開店、関東大震災に見舞われて破産するも神戸の知人の家に身を寄せ、喫茶店「JUCHHEIM’S」を開店して成功しました。バウムクーヘンだけでなく、マロングラッセも日本で初めて販売し、普及させました。第2次世界大戦後、「JUCHHEIM’S」は無くなりますが、その元従業員達が製菓会社ユーハイムを設立、ユーハイム氏(戦時中に病死。息子も戦死)の妻エリーゼ氏を会長(後に社長)として、今日に至ります。ドイツでは、2度の世界大戦でバウムクーヘンが消滅しかけ、志ある者達が製菓会社ユーハイムの指導を受けてバウムクーヘンを復活させました。2度の世界大戦が原因でドイツのバウムクーヘンが消滅しかけた一方で、そのおかげでユーハイム氏が日本に定住してバウムクーヘンを日本に広め(更に、マロングラッセ等その他の洋菓子も広め)、その日本人後継者が製菓会社ユーハイムをエリーゼ氏と共に設立し、ドイツのバウムクーヘンを復活させたのですから、浮世の営みとは、何とも複雑なものです。
最後になりますが、その他のバウムクーヘンの話をいたします。今年の10月頃に、母と南瓜チョコレートコーティングのバウムクーヘンを美味しく頂きました。たしか柳月の音更のスイートピア・ガーデンのもので、母の友人から頂いたものであったかと思います。後は、無印のバウムクーヘンも平塚在住時に何度か美味しく頂いたかと思います。2018年9月の厚真町の震災の翌日、停電で当時の勤務先の工場が休業になり(翌日も休業)、多数の店舗も公共交通機関も止まった日、マンションがオール電化で米も炊けないので、母がセブンイレブンで買ってくれたバウムクーヘンを昼か夜の主食として美味しく頂きました。そういう状況でしたので、今まで食べたバウムクーヘンの中でもかなり印象に残っています。今回は以上になります。お読みいただき、誠に有難うございます。色々とございますが(そのことについては誠にお察しいたします)、つつがなき日々でありますように。
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